はじめに

 このホームページを始めてみていただいた方は、どうして「アナ物語」なのか?不思議に思われたことでしょう。「アナ物語」は、弊社株式会社ダイニチの下村尚之会長が命名しました会社の愛称です。

 『髪の毛よりも細い穴をあけることが出来る会社』として、また『機械加工がうまい店』として弊社の21世紀の『物づくりにかける情熱と挑戦・夢を語る』ことができれば幸いです。

 「アナ物語」を語る前に、どうしても語っておかなければいけないのは、やはり弊社の下村会長の生い立ちです。その中から、「アナ物語」の全容がきっとご理解いただけるものと信じます。どうか、よろしくお願い申し上げます。

生い立ち

 「アナ物語」の主人公下村尚之会長は、昭和17年(1942年)4月9日に父親下村和之、母親幸子(ゆきこ)の長男として神奈川県平塚市で生まれました。
 父親は、当時、日本国際航空機工業で飛行機の設計技師として勤務していました。その後、仕事の関係で、京都宇治市に移転し、戦後まもなく岐阜市長森蔵前地内で、昭和23年に織物機械など専用機の設計から製作まで行う弊社の前身「大日鉄工所」を創業しました。

少年時代

 創業時は、家族が母方(旧姓・堀)と同居していたため、大変賑やかな家庭でした。そんな中、下村尚之少年は、岐阜市立長森南小学校、岐阜市立長森中学校岐阜県立岐阜高等学校と進学しました。その頃の思い出として、長森地内であったため、近所に住む岐阜県出身のプロ野球元監督で横浜ベイスターズ元監督、森祇晶氏とはよく遊んだといいます。また、高校時代の同級生で、岐阜県立加納高等学校の元校長の今井春昭氏は、「下村君は、本当に頭のいい人だった」と当時のことを懐かしく語ってくれています。
岐阜市立長森中学校 岐阜県立岐阜高等学校

大学時代

 昭和36年岐阜高校を卒業した下村会長は、『北上夜曲』で有名な、岩手県盛岡市にある岩手大学工学部金属工学科に進学し、そこで、金属学を学びました。

 大学の選択もユニークで、岐阜地方ではあまり多くの人が行かない大学を選択するという、現在の会長のユニークさをこの頃から覗い知ることが出来ます。


岩手大学校章